![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
はやし しめ 林司馬
司馬は京都のひと。美工を経て絵専を卒業、研究科に進む。土田麦僊・入江波光に師事した。昭和2年絵専卒業作品「山茶花」が第6回国画創作協会展に初入選し、以後国展に出品するが、昭和3年同会解散後は昭和5年第11回帝展に「梨花」を出品したのをはじめ、帝展・新文展に出品した。そして、昭和11年に師麦僊が亡くなってのちは、模写に専心するようになり、法隆寺金堂壁画模写、平等院鳳凰堂杉戸絵模写、大覚寺襖絵模写など多くの模写事業に従事している。また、昭和25年より美専、美大、芸大で教職につき後進の指導にも熱心であった。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作家
リトグラフとは?【 美術用語 】 版画技法。石版画。平版(版面に凹凸のない版形式)の代表的なもの。版材に石灰石や、今日では人造石灰石や亜鉛板、アルミ板も用いる。製版の原理は水と油の反発作用である。即ち石灰石に脂肪性のクレヨンや解き墨で描き、上から硝酸アラビアゴム溶液を掛けると、化学作用によって描画部は親油性に、他の部分は親水性になる。こうして版面に油性インキをローラーで転がし、描画部にのみ付着したインキをプレス機で紙に刷り上げる。亜鉛板等を用いる場合も、水と油の反発を応用することに変わりはない。18世紀末にゼネフェルダーがドイツで発明し、当初は近代的な複製出版技術として、広くヨーロッパに普及した。19世紀中頃には多色石版画、続いて写真製版も登場し、リトグラフは商業印刷の分野で急速に発展する。19世紀末の芸術的なポスターの隆盛は、この技法を抜きにしてはあり得なかった。今世紀に入いってからも、ピカソ、マチス、ルオー、シャガール等、多くの作家がリトグラフによる表現を意欲的に追求した。 |
||