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にしやま ひでお 西山英雄
英雄は京都のひと。大正14年叔父である西山翠嶂に師事し、青甲社に入る。絵専在学中の昭和6年第12回帝展に「静物」が初入選し、以後帝展・新文展・日展に出品を続ける。昭和9年第15回帝展で「港」が特選となり、昭和22年第3回日展に「比良薄雪」を出品して再度特撰となった。昭和33年翠嶂没後青甲社は解散するが、京都教育大学教授を務めるなど後進の指導にも熱心だった。昭和55年に芸術院会員になっている。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作家
川上冬崖とは?【 作家名 】 1827年長野県に生まれる。江戸に出て大西椿年に学び岸太郎と称する。蕃書調書に入り、絵画取調出役、画学出役となって洋画法を研究し、後進を指導。明治維新後、大学南校(東京大学の前進)、文部省、陸軍兵学寮、陸軍参謀局に勤める。第1回、第2回内国勧業博覧会美術部の審査主任。1870年下谷に私塾聴香読画館を設けて青年たちに西洋画法を教える。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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