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にしがき ちゅういち 西垣籌一
籌一は兵庫県のひと。昭和8年絵専に入学、在学中に山崎隆と田口壮らの新日本画研究会に参加する。同11年絵専を卒業。同年の文展に「ピアノ」が初入選する。翌12年の第1回新文展に「新妓」を出品。同13年には福田豊四郎らの新美術人協会に参加するが、同年に召集され画業を中断する。同18年絵専に務め同19年から24年まで助教授として後進の指導にあたる。同24年以降は47年の退職まで京都市立の高校教諭として務め、戦後は同25年第6回日展「こどもたち」の出品はあるが、以後は今日まで一貫して無所属の制作活動を続けている。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作家
レジェとは?【 作家名 】 1881年フランスに生まれる。1955年没する。1897年から98年にかけてフランスのカンで建築を学び、1900年から02年まで建築の製図工としてパリで働く。1903年から装飾美術学校とアカデミー・ジュリアンで学び、エコール・デ・ボザールにも出入りする。印象派、セザンヌとその興味の対象を変えながら、1910年からはキュビスムや未来派に刺激される。キュビスムのグループに加わり、1913年にはアメリカで行われたアーモリー・ショウに作品が展示される。第一次世界大戦中1914年から17年、従軍。そのときに見た、日光の下でまぶしく光る銃や剥き出しになった金属が放つ魔法のような輝きに強い印象を受ける。この視覚的な体験を基に、除隊後はそのような機械のイメージを作品に取り入れるようになる。また1920年代には人体にも興味をひかれ、機械と人体をモチーフにして制作。これは抽象につながる近代的な表現であったが、その源はフランスの古典主義におけるバランスのとれた構成にあると言われる。1924年には映画にも取り組み〈バレエ・メカニック〉を発表する。1940年から45年にかけてアメリカに亡命し、戦後パリに戻った。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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