![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
どうもと あきら 堂本阿岐羅
阿岐羅は京都のひと。本名亮。絵専卒業後、研究科に進む。昭和16年第4回新文展に「金魚すくひ」が初入選するが、召集されしばし戦地に赴く。帰還後昭和22年の第3回日展に「草原」が再入選してのち日展に出品を続ける。また、この年から伯父堂本印象の主宰する東丘社に入る。昭和29年第10回日展に「丘の漁村」を出品して特撰、翌年第11回展にも「段畑」で再び特撰となっている。写実からキュビスムへそして限り無く抽象表現に近づくなど大きな変転を見せた堂本であるが、やがて具象表現に回帰した。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作家
デュビュッフェとは?【 作家名 】 1901年フランスに生まれる。1985年没する。家業のワイン商を継いでいたが、1942年41歳の時、絵に専念する決意をする。1944年ドルーアン画廊で初の個展を開く。フォートリエに影響された厚塗りの絵画を発表し、賛否両論をまきおこして大論議を呼ぶ。同じ頃にアメリカでも発表され、おおむね好評を得た。知的障害者や霊、また原始の美術に興味を持つ彼の人間表現は、サロン的な洗練された芸術に対する強烈な告発である。その芸術は、生の芸術(アール・ブリュット)と呼ばれた。彼が生み出す、人間の純粋な欲望にもとづく原始のイメージは、大胆かつ独創的であり、フォートリエ、ヴォルスと共に、アンフォルメルの先駆者として高い評価を受けている。1966年以降は、ポリエチレンに彩色したオブジェや、各地のモニュメントも手がける。1968年には、テート・ギャラリー、アムステルダム市立美術館、グッゲンハイム美術館で、また69年にはモントリオール美術館、77年にはル・アーブル美術館で回顧展。1981年にはグッゲンハイム美術館で80歳記念の個展が開かれた。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||