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どうもと あきら 堂本阿岐羅
阿岐羅は京都のひと。本名亮。絵専卒業後、研究科に進む。昭和16年第4回新文展に「金魚すくひ」が初入選するが、召集されしばし戦地に赴く。帰還後昭和22年の第3回日展に「草原」が再入選してのち日展に出品を続ける。また、この年から伯父堂本印象の主宰する東丘社に入る。昭和29年第10回日展に「丘の漁村」を出品して特撰、翌年第11回展にも「段畑」で再び特撰となっている。写実からキュビスムへそして限り無く抽象表現に近づくなど大きな変転を見せた堂本であるが、やがて具象表現に回帰した。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作家
ピカソとは?【 作家名 】 1881年スペインに生まれる。1973年没する。幼少時から卓越したデッサン力を示し、ダ・グァルダとバルセロナの美術学校でアカデミックな技法を学ぶ。1900年から04年までパリとバルセロナの間を往復し、04年からはパリの長屋、洗濯船(バトー・ラヴォワール)に住んでエコール・ド・パリの作家達と交わる。1902年頃から抒情的な青の時代に入り、続いてバラ色の時代を経て、07年に〈アヴィニヨンの娘たち〉を制作、ブラックとも出会う。キュビスムの幕開きであった。1918年頃から新古典主義的傾向に変わり、25年頃からはシュルレアリスムをとり入れる。1933年には雑誌『ミノトール』創刊に参加、37年にはスペインのフランコ政権に抗議して〈ゲルニカ〉を制作した。戦後は〈画家とモデル〉のシリーズや過去の巨匠に題材をとった作品も作り、また日記のように毎日大量の版画を制作した。彫刻、セラミック、舞台装飾、ポスターなどの分野にも手をひろげた。20世紀美術の最高峰の1人といえるだろう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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