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どうもと あきら 堂本阿岐羅
阿岐羅は京都のひと。本名亮。絵専卒業後、研究科に進む。昭和16年第4回新文展に「金魚すくひ」が初入選するが、召集されしばし戦地に赴く。帰還後昭和22年の第3回日展に「草原」が再入選してのち日展に出品を続ける。また、この年から伯父堂本印象の主宰する東丘社に入る。昭和29年第10回日展に「丘の漁村」を出品して特撰、翌年第11回展にも「段畑」で再び特撰となっている。写実からキュビスムへそして限り無く抽象表現に近づくなど大きな変転を見せた堂本であるが、やがて具象表現に回帰した。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作家
ブーシェとは?【 作家名 】 18世紀フランスのロココ絵画を代表する画家。20歳でアカデミーの大賞を獲得。その後イタリアに遊学。ここでベネチアの絵画に深い感銘を受ける。帰国後、アカデミー会員となる。後に会長に就任し、ヴェルサイユにおいては、ルイ15世の主席宮廷画家となって、ポンパドゥール夫人の絵画教師もつとめた。彼の芸術活動は実に幅広く、ヴェルサイユ宮の装飾、タピスリーやセーヴル陶磁器のデザインのほか、オペラ座の舞台デザインをも手がけた。絵画においては永遠の女性ヴィーナス礼賛こそ彼の一生を賭けたモチーフであった。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年) |
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