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なんばた ふみお 難波田史男
1941年東京都に生まれる。1974年没する。画家難波田龍起を父に持ち、小学生の頃から教師のすすめで油絵を試みる。また文学に親しみ、多感な幼少時代を過ごす。高校時代に絵画の道を志向し大学進学を断念、1960年文化学院美術科に入学するが、指導方針になじめず2年後に中退、以後孤独のうちに制作に没頭する。ペンと水彩を用いて、なぐり描きのようなタッチと強烈な色彩の、人物や建物が浮遊する画風を展開していった。1965年早稲田大学第一文学部美術専攻科に入学。1967年岡本謙次郎のすすめで、第七画廊で初の個展を開く。1969年以降、毎年個展を開き、1971年からは日本橋三越の新鋭選抜展にも毎年出品した。1973年には龍起と親子二人展を開催。翌年、瀬戸内海で行方不明となり、1ヵ月余経って遺体が発見された。画業10年間に、2000点を越える作品を制作した。1975年以後、フジテレビギャラリー等で相次いで遺作展が開かれた。
カテゴリー:作家
ダリとは?【 作家名 】 1904年スペインに生まれる。1989年没する。1921年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入るが、突飛な行動を繰り返し、26年には退学処分となる。はじめは未来派やキュビスムに興味を持ったが、そのうちに、デ・キリコやとりわけフロイトの『夢判断』に強烈な影響を受ける。そして自ら「偏執狂的批判的方法」を発見し、精密な写実と幻想とを結びつける独自の様式を生み出した。1927年にはパリに行きピカソと知り合った。1929年から30年には友人ブニュエルと〈アンダルシアの犬〉等の映画を作る。1929年パリの個展によってシュルレアリスムの一員に加えられるが、34年、ブルトンとの不仲から除名される。第二次世界大戦中の1940年にアメリカに亡命し、名声を得る。1948年にはスペインに戻り、版画や宝石デザインなどの分野でも活躍、商業的な成功も得た。スキャンダラスなその生涯は、彼の評価を分けてはいるが、ある意味で今後のシュルレアリスムの存続を考える上での鍵を握る人物の1人であるといえよう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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