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よしだ ほうめい 吉田芳明
吉田白嶺の弟で、島村俊明に弟子入り、その娘婿となり、実質的には宮彫師島村家10代目となった。明治33年パリ万国博覧会では「島村芳明」の名で出品、銅牌を受賞している。同43年日本彫刻会に参加、第4回文展にも出品し、兄が院展に参加した後も文展を中心に制作発表を行った。帝展改組の後には審査員にもなったが、同時に官展中心の美術界に嫌気がさし距離を置くようになった。展覧会へは、写実に基づいた同時代の風俗人物像を写実的に表現した作品を発表したが、本展覧会に出品されている作品のような滑稽味のある小品にも優品を残した。(「高村光雲とその時代展」図録 2002年)
カテゴリー:作家
キルヒナーとは?【 作家名 】 ウィーンでエレガントな有閑マダムや高級娼婦を描く絵描きとして出発、その後、1900年頃にパリへ移住、肖像画家として活動するほか、雑誌(特に「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」)や単行本の挿絵を描いた。一時ロンドンにも滞在し、そこで「ザ・スケッチ」の挿画を描いていた。世界大戦勃発後、彼はニューヨークへ行き、主に女性を描く肖像画家として活動した。キルヒナーが知られているのは、サロン、バー、ナイトカフェなどにたむろして、一種エロティックな仕草をしたがる刺激的な女性たちの絵描きとしてであり(「玩具」、「サルタンの妃」、「青春」、「引っ張られるアモール」)、また、‘キルヒナー・ガール’の呼び名でポピュラーになったモンマルトルのやくざ女の代弁者としてである。1904年、彼はミュンヒェン水晶宮の展覧会に「ウェスタの処女」を出品した。フランス美術協会のパリ展には、1906年、婦人肖像画、1913年、「釈放」、1914年、「御託宣」を出品した。また、パリのユーモリスト展にも多数の水彩画を出品した。彼の水彩画のカラー複製は、特にマックス・ヘルツベルク書店(ウィーン)から出版されている。 |
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