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きくち ほうぶん 菊池芳文
本名三原常次郎。表具師の次男として生まれ、のち菊池家の養子となる。明治14年幸野楳嶺に入門する。翌年の第1回内国絵画共進会で銅賞となり、第2回展でも銅賞を受賞。19年の京都青年絵画研究会展で第1席に選ばれ、第4回内国勧業博覧会でも褒状となる。京都市立美術工芸学校教諭をつとめ、京都市立絵画専門学校の設立に際しても尽力し、開校とともに教諭となる。文展でも第1回展から審査員をつとめるなど明治後期の京都画壇に重きをなしたが、特に桜のモティーフを得意とした。(「京都国立近代美術館 所蔵名品集[日本画]」増補版 2003年)
カテゴリー:作家
岡本太郎とは?【 作家名 】 1911年東京都に生まれる。1996年没する。父は漫画家の岡本一平、母は歌人で小説家の岡本かの子。1929年東京美術学校に入学するが半年で退学、同年フランスに渡り、パリで「アブストラクションニクレアション(抽象・創造)」などの前衛運動に参加する。1940年帰国。41年の第28回二科展に滞欧作を特別陳列し二科賞を受賞する。戦後は一時二科会会員となるが、旧套な画壇に叛旗をひるがえし、一貫して批判的立場を保つ。1950年代までは社会的諷刺のイメージが強い作品を制作するが、60年代からは激しい筆触で人間の原型を思わせるような抽象形態を描く。1970年代日本万国博覧会の〈太陽の塔〉、76年パリの国際会議センターの壁画など、工芸的な仕事や彫刻にも意欲的に取り組む。縄文土器をクローズアップした『日本の伝統』(1956)ほか、『私の現代芸術』(1963)など著作も数多く、『忘れられた日本』(1961)は毎日出版文化賞をうける。(「ピカソと日本」図録 1990年) |
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