ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


モンマルトル



モンマルトル



モンマルトル(ノルヴァン通り)



モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレット



モンマルトル、サクレ・クール寺院



モンマルトルのサクレ=クール教会堂(シュヴァリエ・ド・ラ・バール通り)



モンマルトルのサクレ=クール教会堂とサン=ピエール公園



モンマルトルのサクレ=クール教会堂とサン=ピエール公園



モンマルトルのスラム街



モンマルトルのドゥブレ農園



モンマルトルのノルヴァン通り



モンマルトルのノルヴァン通り



モンマルトルのノルヴァン通り



モンマルトルのミミ・パンソンの家



モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレット



モンマルトルのラパン・アジル



モーザー



モーザー



モーセとエテロの娘たち



「モード ウィーン 1914〜15」


<前 (164/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


こまつ ひとし

小松均

大正9年上京し、川端画学校に入る。13年第4回国画創作協会展に入選、土田麦僊の知遇を得て、翌年京都に移り、麦僊の山南塾に学ぶ。第5回国画創作協会展で国画賞を受賞し、会友となる。昭和3年の同協会解散後は、帝展と院展に出品する一方で、若手による研究会を結成、活動する。21年日本美術院賞を受賞、同人に推挙されてからは、院展を中心に作品を発表し、25年ころから川崎で粟の栽培をしながら制作に励むが、31年京都大原に移り、大原や郷里大石田の最上川、さらには富士山の連作など、スケールの大きな画業を展開した。(「京都国立近代美術館 所蔵名品集[日本画]」増補版 2003年)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

脂派とは?【 美術用語 】

一般に明治美術会系の画家の画面が脂っぽい印象を与えることから、世間がこの系統の作家と作品を揶揄して用いた名称。紫派と呼ばれる黒田清輝を中心として形成された外光派との対比で用いられた。ほかに旧派、北派、変則派とも呼ぶ。1893年ラファエル・コランにサロン風の外光描写を学んだ黒田が帰国するまで、日本の画家は外光描写を知らず褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色あるいは黒で表現したため、画面は暗く脂っぽいものとならざるを得なかった。それに対して明るく感覚的な黒田の外光表現は清新な感動をもって若い画家に迎えられ、やがて当時唯一の官展であった文部省美術展(文展)の画風を支配していった。ジャーナリズムは両者の対立を脂派紫派の抗争とあおったが脂派は画壇の片隅に追いやられていった。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

脂派

キーワードを含む記事
3件見つかりました。

  外光派

  紫派

  脂派


<前   次>

徳島県立近代美術館2006