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にしむら ごうん 西村五雲
本名源次郎。明治23年岸竹堂の門に入り、32年からは竹内栖鳳に師事する。26年第6回日本美術協会展で褒状、40年の第1回文展で3等賞を受賞。第5回、7回文展でも褒状を得る。大正3年以降は病気のため、大作の制作を断念するが、9年には帝展の委員となり、審査員などをつとめる。13年には京都市立絵画専門学校の教授となり、昭和8年には帝国美術院会員、12年には帝国芸術院会員となる。画塾晨鳥社を主宰し、山口華楊などを育てたことでも知られる。(「京都国立近代美術館 所蔵名品集[日本画]」増補版 2003年)
カテゴリー:作家
与謝蕪村とは?【 作家名 】 現在の大阪市に生まれる。江戸中期の俳人であり、画家。姓は谷口から与謝に改めた。蕪村は俳号で、画号は初め子漢。晩年に謝寅(しゃいん)とした。二十歳頃、俳諧を志し、江戸に下って早野巴人(はじん)に入門。巴人の没後、いまの茨城県など関東や東北を巡歴し、一七五一年(宝暦元年)、京都に居を結ぶ。丹後(現在の京都府)の宮津での滞在を挟み、以後は京都を拠点に活動した。絵画の面では、明清絵画のさまざまな画法を学び、南画の画法を吸収することで、自己の表現をつくりあげた。池大雅(たいが)とともに日本南画の大成者とされている。 |
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