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やまざき たかし 山崎隆
昭和8年京都市立絵画専門学校に入学、まつ本一洋(*)に師事した。在学中に革新的な若手日本画家たちによって結成された新日本画研究会に参加。同校卒業後、研究科に進学する。14年第2回歴程美術協会展に出品、翌年には会員となる。22年日本作家協会に参加。23年三上誠、不動茂弥、鈴木治、八木一夫らとパンリアルを、翌年日本画家のみでパンリアル美術協会を結成し、33年まで同協会に所属したが、その後は無所属で制作を続ける。(「京都国立近代美術館 所蔵名品集[日本画]」増補版 2003年) *・・・「まつ」は、うかんむりと「公」「木」からなる漢字(Unicode:68A5)
カテゴリー:作家
印象主義とは?【 美術用語 】 19世紀後半のフランスに起きた最も重要な絵画運動で、その影響は欧米をはじめ日本にまで及ぶ。1874年春にモネ、ピサロ、シスレー、ドガ、ルノワール、セザンヌ等を中心とする画家が官展のサロンに対抗して団体展を開いた際、新聞記者ルロワがモネの「印象−日の出」をもじって彼らを印象派と呼んだ。印象派という名称はこのことに由来し印象主義という用語もそこから派生した。印象主義は写実主義を受継いで特に外光派の戸外制作を重んじ、かつマネに啓発されて明るい色彩を用いて外界の事物を光をあび、空気で包まれた印象として表現した。光の変化に応ずる色調の変化や空気のゆれ動きを効果的に描くために、固有色を否定し、筆触を小さく分割し、色調を原色に還元したことが技法上の特徴とされる。印象主義は必ずしも体系化された理論をともなわず、組織的にはゆるやかな結びつきにとどまったため、1880年代以降各画家の個性の進展と円熟にしたがい、またスーラやゴーガンなど新世代の登場ともあいまって多様化の様相を深めた。 |
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