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おおしま てつい 大島哲以
1926年愛知県名古屋市に生まれる。1999年没する。本名は寿康(としやす)。1948年、日本美術院の作家である中村貞以(なかむら ていい)に師事し、日本美術院展に出品。1960年代は、新制作協会展日本画部(現在の創画会展)に出品した。1971年、文化庁の在外研修員として渡欧。ウィーンの国立応用美術大学で幻想派の画家ヴォルフガング・フッターに学んだ。1974年には中村正義、星野眞吾、山下菊二らと从会(ひとひとかい)を結成。個展やグループ展で発表する他、ヨーロッパ各地を巡回した「現代日本画展」(1985年)や「現代日本画巨匠展」(1990年 茨城県近代美術館)等の展覧会に現代日本画を代表する作家の一人として出品。「20世紀絵画の展開展」(1988年 名古屋市美術館)など、日本画の枠を越えた展覧会でも活躍した。
カテゴリー:作家
マイヨールとは?【 作家名 】 1861年フランスに生まれる。1944年没する。画家を志望して1885年パリのエコール・デ・ボザールに入学するが授業に失望して退学。ゴーギャンの芸術から影響を受け、ナビ派のグループと交わるとともにタピストリーに興味を持つが視力の減退から彫刻に専念。1902年ヴォラールの店で最初の個展を開き、黒人彫刻に霊感を受けた出品作品がロダンに賞賛された後、1905年のサロンに出品した〈地中海〉で評価を一般的なものとした。以降活発な制作活動を続け、1937年のパリ万国博覧会の会期中、プティ・パレの展覧会で3室の特別室が設けられた。晩年には絵画の制作にも力を入れるが、1944年自動車事故で死亡。死後ルーヴル宮の庭園に18点の彫像が設置され、1985年にはパリにマイヨール美術館が開設されている。明快単純な構成と平滑な肉付けによって表現された人物像は、ギリシア・アルカイック期の生命感とフランス近代の感性を統合したものと言われている。 |
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