![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
はまだ ちめい 浜田知明
1917年熊本県に生まれる。東京美術学校油画科を1939年に卒業。同年から約6年間、現役兵として軍隊生活を送る。復員後勤務した県立熊本商業高校を1948年に退職、上京し美術文化協会を経て自由美術家協会に参加する。1950年、本格的に銅版画の制作を始め、日本軍の不条理と残虐さを告発するという主題を一貫して追求し、1953、54年に個展を開き、1956年には第4回ルガノ国際版画展で次賞を、第2回現代日本美術展で佳作賞を受賞し、注目を集めた。1957年郷里・熊本に居を移し、愚かな現代人の人間性への風刺、或いは深層心理の凝視を主題として制作を続ける。1964年から1年間ヨーロッパを旅行し、帰国後ヨーロッパの印象を銅版画集にまとめ始める。1970年代半ばからは、人体を単純化・戯画化する新たな表現を試みている。常に時代の証人として制作を続けてきた彼は、戦後日本美術史に貴重な足跡を残している。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
リプシッツとは?【 作家名 】 1891年リトアニアに生まれる。1973年没する。(イタリア、カブリ)本名ハイム・ジャコブ・リプシッツ。建築を学んだ後1909年パリに出て、エコール・デ・ボザールで彫刻と素描を学ぶ。1912年頃からモンパルナスに住み、エコール・ド・パリの作家達と交流する。1913年から形態を幾何学的に還元した彫刻を制作、15年からは人体をモチーフとした彫刻を制作、キュビスムの彫刻家と目されるようになる。1920年ローザンベール画廊ではじめての個展を開き、22年バーンズ財団の依頼で、ペンシルバニアに石の大型レリーフを制作する。1920年代以降は、自ら「透明彫刻」と名付けた軽快な線的彫刻を制作し、彫刻に新しい地平を開く。1930年代になると、作風は次第に有機性と神秘性を加え、闘争や抱擁をテーマにうねるような量塊によって深い感情表現を追求する。1941年以降ニューヨークに定住し、戦後はアメリカ各地に数多くのモニュメントを制作する。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||