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こだま きぼう 児玉希望
1898年広島県に生まれる。1971年没する。本名省三。はじめ洋画を独学するが、大正7年川合玉堂に師事。10年第3回帝展初入選。以後帝展に毎回入選。昭和3年第9回帝展、5年第11回帝展で特選。6年第12回帝展推薦出品。7年第13回帝展で初の審査員。この間、3年玉堂門下による戊辰会を結成し、6年頃から石田東陵に漢籍を学ぶ。21年秋の第2回日展から審査員。25年日展運営会参事。28年第9回日本芸術院賞を受賞。32年から約1年間滞欧しローマ、ミラノ、パリで個展を開催。33年帰国後日展評議員、日本芸術院会員。36年日展常務理事。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2003年、一部加筆有)
カテゴリー:作家
ロラーとは?【 作家名 】 ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールに師事。1897年、ウィーン分離派の創設に参加。「ヴェル・サクルム」第7号から編集に参加。第1〜7号の扉絵のほか、多数の挿絵を描く。また、シュレフォークト展のポスターおよび雪山登山鉄道のポスターの文字は、モダンなレタリングの出発点となる。1899年、ウィーン工芸美術学校教授。1899年から1903年、ウィーン分離派展の一連のポスターを制作。第14回展「クリンガー/ベートーベン特別展」には、カタログデザインのほか、「歌う夜」も出品。1905年、クリムト・グループと共にウィーン分離派を脱退。1897年から1907年、ウィーン宮廷オペラ劇場でグスタフ・マーラーの指導の間、舞台監督を務める。舞台作りに斬新なアイデアを駆使、特にリヒャルト・シュトラウス作のオペラの初演には型破りの舞台を作る。また、マックス・ラインハルトのためにも働く。クンストシャウには舞台設計(特にフーゴー・フォン・ホフマンシュタールの「オディプスとスフィンクス」等)で参加。1909年、ウィーン工芸美術学校校長。ウィーン工房ではヨーゼフ・ホフマンに協力。1918年、ウィーン宮廷オペラ劇場の舞台監督。 |
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