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たかむら ぎゅうじん 篁牛人
1901年富山県に生まれる。1984年没する。富山県高岡工芸学校図案科卒業。昭和4年第16回商工省工芸展覧会木竹工の部で褒賞を受賞。以後、この展覧会で2等賞や3等賞を幾度も受賞する。15年頃から図案の制作を止め絵画に専念。19年召集されマレーシアやタイを転戦。帰国後は絵画の制作に専念し独自の渇筆技法を生み出す。31年頃から富山市内において幾度も個展を開催するが収入が無く、各地を放浪。42年河北倫明氏を知る。45年東京池袋百貨店で「篁牛人展」を開催。翌年第1回山種美術館大賞展に出品。56年京都国立近代美術館の「異色の水墨画−日高昌克 井上石邨 篁牛人」に出品。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2003年、一部加筆有)
カテゴリー:作家
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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