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とよあき はんじ 豊秋半二
1907年富山県に生まれる。1992年没する。本名半次。安田靫彦に学ぶ。昭和21年再興第31回院展に初入選、賞候補となる。30年再興第40回院展で奨励賞(白寿賞)を受賞。翌年第41回展で日本美術院次賞大観賞を受賞。35年院展を脱会し山岳を中心とした風景画を描きはじめる。38年日本橋三越(以後毎年)、大阪松坂屋、京都大丸で個展。翌年河北倫明を知る。47年東京セントラル美術館、岡山天満屋、香川県文化会館で個展。この頃より本格的に水墨画に取り組みはじめる。号を半二とする。53年大徳寺の障壁画完成。山種美術館の「現代の山水画」に8点を特別出品。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2003年、一部加筆有)
カテゴリー:作家
シニャックとは?【 作家名 】 新印象主義の代表的な理論家シニャックは全くの独学で画家となっている。1880年代には、印象派のモネ、シスレー、ルノワール、ギョーマンらの影響を受けていたが、1884年にスーラの作品を見、さらに1885年にカミーユ・ピサロと息子のリュシアンに出会ってから、本格的に点描法を取り入れ、色彩論を学び始めた。ルイ・ゴンスがジョルジュ・プティ画廊で1883年に開いた日本美術回顧展やパリで開かれたその他の日本美術の展覧会(たとえば1883年と1884年の装飾美術中央連合での日本画家年次展を確かに観ているにもかかわらず、彼の作品にジャポニスムの影響が現れたのは1885年から1886年頃である。ピサロ父子やスーラ(スーラは1885年頃から日本美術の影響を受けている)や、1887年にパリで出会ったゴッホとの親交によって、彼の極東への関心は高まっていった。1885年に版画を始め、まずエッチングの制作を試み、ついで1888年に、新印象主義色彩論を取り入れた多色刷石版画を制作した。彼は浮世絵版画に見られるような大気の明るさと色彩効果を版画に表現しようとした。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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