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さいとう ひろゆき 斎藤博之
1919年旧満州国に生まれる。1987年没する。昭和14年上京し、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)洋画科に入学。18年卒業し、翌年召集され激戦地のフィリピン、レイテ島で過酷な戦争体験と収容生活の後復員。戦後は画壇と無関係に独自の創作世界を追求。かたわら児童図書の挿絵や絵本の分野でも活躍し、46年第2回講談社出版文化賞絵本部門賞を受賞。48年第21回小学館絵画賞を受賞。馬や人物を主題とした油絵をはじめ、戦争体験を綴ったペン画、自己の分身として描いた河童の水墨画など幅広く活躍した。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2003年、一部加筆有)
カテゴリー:作家
デュフィとは?【 作家名 】 1877年フランスに生まれる。1953年没する。故郷ル・アーヴルの美術学校を経て、兵役をはさみ、パリのエコール・デ・ボザールに学ぶ。はじめは印象主義の影響を受けた作風で、サロンにも出品するが、1905年のアンデパンダン展で見たマティスの作品に影響されて、明るい色彩と軽快な筆使いによる作風へと転じる。セザンヌやキュビスムの影響を受けた時期もあるが、独特のリズミカルな画面を保ち、フォーヴィスムの一員と見なされる。1937年のパリ万博では、電気館のための壁画を制作、52年のベネチア・ヴィエンナーレでは国際絵画大賞を受けた。 |
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