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イベルス



異邦人の訪問



今尾景年



今中素友



今西中通



「今はここで努力しよう。」



今村紫紅



イメージの解剖学



イヨクインデュストリデザイン



刺草(いらくさ) エルメスジャポン HERMES PARIS 10.28-12.30 2001



入相告ぐる頃



入江波光



入口,入口



イリブ



色の点になれば



〈色の伝説〉



岩倉寿



岩崎教章



岩につながれたアンジェリカ



岩の聖書


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はやし たけし

林武

1896年東京府(現東京都)に生まれる。1975年没する。本名は武臣。1920年日本美術学校に入学するが、翌年退学する。1921年二科展で樗牛賞、22年平和記念東京展覧会で褒状、二科展で二科賞を受賞する。1923年円鳥会の創立に参加し、26年一九三〇年協会会員、二科会会友となる。1930年二科会を退会し、独立美術協会の結成に参加、翌年の第1回展以降毎回出品を続ける。1934年ヨーロッパに渡り、制作のかたわら各地をまわって翌年帰国する。戦後は美術団体連合展、秀作美術展、日本国際美術展、現代日本美術展などにも出品し、1949年毎日美術賞、56年現代日本美術展大衆賞、59年日本芸術院賞、67年朝日文化賞、文化勲章をうける。初期にドランマティスの影響をうけ、フォーヴィスムを基調としながら独自の構成理論を展開、重厚な質感をもった作風をみせる。1952年から63年にかけて、東京芸術大学教授をつとめる。(「ピカソと日本」図録 1990年)


カテゴリー:作家
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マレーヴィッチとは?【 作家名 】

1878年、キーエフ近郊に生まれる。キーエフ・モスクワで絵を学び、ラリオノフに認められてグループ活動に参加。1913年、最初のシュプレマティズムの絵画を描いた。以後シュプレマティズムのを推進し、1918年、「白の上の白」の連作に達した。1919−22年、ヴィテブスク美術学校の教授となり、絵画をやめ、同校をバウハウス的なシステムに改革、教育活動に専念する。1927年、ベルリン美術展で特別陳列され、翌28年バウハウスから「非対象の世界」を刊行。モスクワのみならず、ヨーロッパの美術界に大きな影響を及ぼした。1835年、レニングラードで死去。

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