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はら たけし 原健
1942年愛知県に生まれる。東京芸術大学絵画科油画専攻を卒業し、1969年同大学大学院油画専攻を修了する。はじめアメリカ現代美術の影響が濃厚な抽象絵画を制作していたが、大学で駒井哲郎、小野忠重らの版画の集中講議をうけ、リトグラフの制作をはじめる。1975年から76年にかけて文化庁在外研修員としてイギリス、アメリカに滞在する。幾り返し個展を開催するほか内外の展覧会に出品し、1972年東京国際版画ビエンナーレ京都国立近代美術館賞を受賞する。1970年「現代美術の動向」展(京都国立近代美術館)、81年「世界の現代版画25年」展(東京都美術館)、「日本の現代美術」展(韓国)などに作品が展示される。手の振りの軌跡(Stroke)をテーマに、円弧という基本的な形態の反復によって非個性的、無機質な抽象を追求する。東京造形大学、東京芸術大学で後進の指導にあたる。
カテゴリー:作家
紫派とは?【 美術用語 】 黒田清輝を中心として形成された明治期の洋画の傾向とその画家たちを指す。ラファエル・コランに学んで1893年帰国した黒田は、印象派の技法と伝統的な主題を折衷したサロン系の外光表現を日本に伝えたが、それまで日本の画壇は脂派と呼ばれる褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色と黒で描いた暗く脂っぽい表現が主流となっていたため、黒田の明るく感覚的な外光描写は若い画家たちに清新な感動をもって迎えられた。黒田は久米桂一郎とともに天真動場、次いで白馬会を創立し、また東京美術学校教授として後進の指導にあたり、それらの活動を通じて外光描写は当時唯一の官展であった文部省美術展覧会(文展)の画風を支配するに至った。名称の起りは、陰の部分を青や紫で描いたことを、脂派に対して正岡子規が紫派と揶揄したことによる。ほかに脂派との対比から新派、南派、正則派とも呼ぶ。 |
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