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なかの よしゆき 中野嘉之
京都市に生まれる。多摩美術大学で学び、横山操、加山又造の教えを受けた。一九七〇年に大学院を修了。在学時代から、新制作協会展に出品。新制作協会日本画部が創画会へと改組したのにともない、創画展に出品。また、所属の違う同世代の作家たちでつくる「横の会」展に参加した。九三年に創画会を離れた後、各地で行われた個展、グループ展で活躍し、京都美術文化賞や芸術選奨文部科学大臣賞を受賞している。二〇〇六年、平塚市美術館で「中野嘉之展」が開催された。現在、多摩美術大学教授として、後進の指導にあたっている。
カテゴリー:作家
下村観山とは?【 作家名 】 現在の和歌山市に生まれる。一家をあげて上京。はじめ藤島常興に狩野派の手ほどきを受けた後、狩野芳崖、橋本雅邦に学ぶ。東洋絵画共進会、鑑画会に出品し、明治22年(1889)東京美術学校に一期生として入学。卒業と同時に、助教授となる。美術学校騒動では、岡倉天心とともに辞任し、日本美術院創立に参加。正員となる。明治34年(1901)美術学校に教授として復職。2年間、文部省留学生として、イギリスで水彩画の研究などを行った。美術院の五浦移転に従い、美術学校を辞職。大正3年(1914)には、横山大観とともに日本美術院を再興し、以後、院展を中心に活躍した。帝室技芸員、フランス・サロン準会員をつとめた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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