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ふきた ふみあき 吹田文明
1926年徳島県に生まれる。徳島師範学校(現徳島大学)に学ぶ。1948年徳島県の研究派遣生として、東京芸術大学に学ぶ。1957年の日本版画協会展で恩地賞を、翌58年協会賞を受賞し会員に推挙される。1959年シェル美術賞展佳作。1960年から68年の東京国際版画ビエンナーレ展に招待出品。1961年第2回パリ青年美術家ビエンナーレ展出品。1965年ノースウエスト国際版画展大賞受賞。1967年サンパウロ・ビエンナーレ展で最高賞を受賞。1968年ジャパン・アート・フェスティバル展、69年リュブリアナ版画ビエンナーレ展、70年ブラッドフォード・ビエンナーレ展、72年ソウル・ビエンナーレ展、75年マイアミ・グラフィック・ビエンナーレ展などに出品し国際的な活躍を続けている。星座、花火、花、蝶などのモチーフを抽象的に表現。水性絵具と油性絵具を木版プレスで摺り重ねることで、洗練された深味のある色彩をつくり出している。1969年から多摩美術大学教授、92年には日本初の版画科を創設。1989年春の叙勲にて紫綬褒章を授章。1994年日本版画協会理事長に就任。2004年日本美術家連盟理事長に就任。
カテゴリー:作家
印象主義とは?【 美術用語 】 19世紀後半のフランスに起きた最も重要な絵画運動で、その影響は欧米をはじめ日本にまで及ぶ。1874年春にモネ、ピサロ、シスレー、ドガ、ルノワール、セザンヌ等を中心とする画家が官展のサロンに対抗して団体展を開いた際、新聞記者ルロワがモネの「印象−日の出」をもじって彼らを印象派と呼んだ。印象派という名称はこのことに由来し印象主義という用語もそこから派生した。印象主義は写実主義を受継いで特に外光派の戸外制作を重んじ、かつマネに啓発されて明るい色彩を用いて外界の事物を光をあび、空気で包まれた印象として表現した。光の変化に応ずる色調の変化や空気のゆれ動きを効果的に描くために、固有色を否定し、筆触を小さく分割し、色調を原色に還元したことが技法上の特徴とされる。印象主義は必ずしも体系化された理論をともなわず、組織的にはゆるやかな結びつきにとどまったため、1880年代以降各画家の個性の進展と円熟にしたがい、またスーラやゴーガンなど新世代の登場ともあいまって多様化の様相を深めた。 |
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