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ふくおか みちお 福岡道雄
1936年大阪府に生まれる。1955年堺市立工業高等学校建築科を卒業する。1958年から幾り返し個展を開催し、60年代になると〈何もすることがない〉、〈ポリエチレンのピンク色の煙を気管から十二指腸ヘ吸いあげながら〉と題して細長い棒状のオブジェと風船状の燃焼させたポリエチレンを組みあわせたシリーズを発表する。空気を作品として扱うことで、彫刻が実態のあるものとする既成の彫刻概念を否定する試みとして注目を集め、1964年「現代美術の動向」展(国立近代美術館)、66年「現代美術の新世代」展(国立近代美術館)に作品が展示され、1967年長岡現代美術館賞展K氏賞を受賞する。1960年代末から数年間沈黙を続けたあと、70年代になると立方体の台上に樹木や山、雲、人物などを配した具象的な作品を発表し、77年中原悌二郎賞優秀賞を受賞する。1960年代の新しい美術運動を形造った主要作家の1人と目される。
カテゴリー:作家
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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