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うぇっせるまん トム・ウェッセルマン
1931年アメリカに生まれる。2004年没する。生地オハイオ州のシンシナティ大学で心理学を学ぶ。1952年から3年間兵役につくがその間に風刺画を描きはじめ、退役後、シンシナティ美術アカデミー、ニューヨークのクーパー・ユニオンに学ぶ。1950年代末頃から、コラージュの技法を用いて室内の女性像を制作。1961年、〈グレート・アメリカン・ヌード〉のシリーズを始め、高い評価を受ける。マティスの裸婦を思わせるしどけないヌードを明るく乾いた表現で描くことで、従来の裸体画と現代の日常生活をポップ・アート的に融合したと言われる。以後次第に日常的な事物を画面に貼り付けて行き、63年に始まる〈バスタブ・シリーズ〉では、コラージュによる立体作品となり、日常の世界と作品の世界を一層あいまいなものとした。60年代後半からは再び平面作品に戻り、〈マウス〉〈スモーカー〉などのシリーズを発表。描く形態に合わせた変形キャンバスを用いるのも新しい特徴である。近年は、レーザー光線で切断した鉄板を組み合わせた〈スティール・ドローイング〉に取り組んでいる。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年、一部加筆)
カテゴリー:作家
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ネオ・ダダとは?【 美術用語 】 1950年代の末、ニューヨークにおいて、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズが、あいついで個展を開いた。当時の美術の世界は、抽象表現主義が全盛をきわめていたが、その中で彼らは、日常の具体的、卑俗的な、すぐそれと知れるようなものを画面に登場させ、大胆な画風を示した。ラウシェンバーグは、絵画に布や写真、印刷物などを加えて、雑多なイメージを画面に集めてくるコンバイン・ペインティングを、ジョーンズは国旗や標的などを画面にクローズアップすることで、反芸術の新しい表現スタイルをうちだした。これらの創作活動を、芸術に対する挑戦的な姿勢とみなし、「ダダの再来」という意味でジャーナリストが名付けたものが「ネオ・ダダ」である。日本も1960年の読売アンデパンダン展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズというグループが出品するなど、影響を受けている。ネオ・ダダは抽象表現主義につづき、後のポップ・アートの出現をまつことになる。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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