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ろーぜんくいすと ジェイムズ・ローゼンクイスト
1933年アメリカに生まれる。1952年から54年まで、看板屋のアルバイトをしながら、ミネソタ大学で絵画と素描を学ぶ。またその後、2年間ニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグに通い、この頃ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズらを知る。初めは抽象表現主義風の作品を描いていたが、1950年代末から、広告用看板のスタイルを取り入れ、自動車や食品といった身近な事物、人体などを断片的に組み合わせたコラージュ風の大画面を巨大なカンバスに描き始めた。1962年にニューヨークのグリーン・ギャラリーで最初の個展を開催。1965年には全長86フィートに及ぶ巨大な壁画風の大作〈F−111〉を発表。またこの年から版画の制作も始めた。1972年、ケルンのワルラフ・リヒャルツ美術館、ニューヨークのホイットニー美術館で回顧展が開催された。日常的な主題と、リアルな作風によって、ポップ・アートの作家とみなされている。
カテゴリー:作家
丸山晩霞とは?【 作家名 】 長野県に生まれる。本名は健作。1884年上京し、勧画学舎に学ぶが1年足らずで帰郷。1888年再び上京し、本多錦吉郎の彰枝堂に学ぶ。1890年、第3回内国博覧会に油彩画を出品。1895年、吉田博と出会い、水彩画に興味を抱く。1990年満谷国四郎、河合新蔵らと渡米。その後ヨーロッパを巡って翌年帰国。太平洋画会の創立に参加。大下藤次郎らと水彩画講習所を開き、さらに日本水彩画会研究所へと発展させた。1911年再渡欧。1913年に日本水彩画会の創立に参加。評議員となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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