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くろーす チャック・クロース
1940年アメリカに生まれる。1958年からシアトルのワシントン大学に学び、62年文学士号取得。同年よりイェール大学に学び、翌年に美術学士号、その翌年に美術修士号を取得。1964年から2年間、ウィーンの造形芸術アカデミーに学ぶ。1965年からマサチューセッツ大学の講師をつとめ、67年に同大学のアート・ギャラリーで初の個展を開催する。同年よりニューヨークに移り、視覚芸術学校の講師となる。抽象表現主義の作風から出発し、評価も受けたが、既製のイメージを用いたオブジェの制作を経て、1966年巨大な写真そっくりの人物像を描き始める。1980年にミネアポリスのウォーカー・アート・センター、翌年シカゴ現代美術館、ニューヨークのホイットニー美術館等で回顧展が開かれた。完全に機械的な制作過程による彼の巨大な「肖像画」は、視覚情報の認識という主題を根底に持っている。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
構成主義とは?【 美術用語 】 ロシア革命前から1920年代にかけてソ連で展開された芸術運動。ウラジーミル・タトリンが1913年に始めた鉄板や木片によるレリーフを「構成」と呼んだのを発端とする。現実の素材による非再現的構成という造形理念は、ロドチェンコなど多くの共鳴者を得て、構成主義という運動に発展し、モスクワの前衛美術界を、マレーヴィチの提唱したシュプレマティズム(絶対主義)と二分した。革命後は、革命政府の美術政策の推進勢力となり、絵画、彫刻をブルジョワ芸術として否定するとともに、鉄・ガラスなどの工業生産物の使用と社会的効用性を主張し、建築・デザイン・舞台美術などの分野にも拡がり、1920年には造形芸術の各分野をほとんど支配した。運動としては1919年頃から効用派と純粋造形派とに分裂し、純粋造形派のペヴスナー、ガボらは運動を離れ、効用派もその後産業との一体化を推進したが1930年代に政府より批判され終結したが、国外の抽象芸術運動に与えた影響は大きい。タトリンの「第3インターナショナル記念塔(模型)」はその代表的作品。 |
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