![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
だーかんじぇろ アラン・ダーカンジェロ
1930年アメリカに生まれる。1998年没する。ニューヨーク州のバッファロー大学で歴史学と政治学を学んだ後ニューヨーク市立大学に進むが、絵画を独習ではじめ、1957年から59年までメキシコ大学でジョン・ゴールディングなどの指導を受ける。以後ニューヨークに住み、コーネル大学、ブルックリン大学、エール大学、ウィスコンシン大学など各地の大学で教鞭をとりながら制作活動を続けている。1961年の初個展の後、活発に個展を開催するとともに、64年ニューヨーク近代美術館での「アメリカの風景画」展や、65年ウスター美術館での「ニュー・アメリカン・リアリズム」展、66年ボストン美術館での「今日の彫刻と絵画」展などに出品し高い評価を得た。ポップ・アートの代表的作家の一人と目されている。ハイウエイを平面に鋭く分割して交通表識や事件の痕跡を投射することで、技術文明がつくり出した記号化、管理化された社会の虚無感を表現する。
カテゴリー:作家
アルプとは?【 作家名 】 1886年フランスに生まれる。1966年に没する(オランダ、バーゼル)。ワイマール美術学校、パリのアカデミー・ジュリアンに学ぶ。1912年ブラウエ・ライター、翌年シュトゥルムの活動に関わり、16年からはダダの中心的人物として活躍する。1925年にはシュルレアリスムの運動に参加。また1930年にはセルクル・エ・カレ、翌年に「抽象・創造」と、抽象美術の活動にも参加、ダダと抽象美術にまたがる幅広い活動を展開した。絵画の他にも、コラージュ、彩色レリーフ、ちぎり絵のコラージュ(ハピエ・デシレ)、彫刻等を手掛け、更に詩人としても活躍する。1954年ベネチア・ビエンナーレ展で国際彫刻大賞、63年フランス芸術大賞を受賞。1965年ロカルノ名誉市民となる。1958年ニューヨーク近代美術館、62年にポンピドゥ・センターで大回顧展が開催された。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||