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だーかんじぇろ アラン・ダーカンジェロ
1930年アメリカに生まれる。1998年没する。ニューヨーク州のバッファロー大学で歴史学と政治学を学んだ後ニューヨーク市立大学に進むが、絵画を独習ではじめ、1957年から59年までメキシコ大学でジョン・ゴールディングなどの指導を受ける。以後ニューヨークに住み、コーネル大学、ブルックリン大学、エール大学、ウィスコンシン大学など各地の大学で教鞭をとりながら制作活動を続けている。1961年の初個展の後、活発に個展を開催するとともに、64年ニューヨーク近代美術館での「アメリカの風景画」展や、65年ウスター美術館での「ニュー・アメリカン・リアリズム」展、66年ボストン美術館での「今日の彫刻と絵画」展などに出品し高い評価を得た。ポップ・アートの代表的作家の一人と目されている。ハイウエイを平面に鋭く分割して交通表識や事件の痕跡を投射することで、技術文明がつくり出した記号化、管理化された社会の虚無感を表現する。
カテゴリー:作家
菱田春草とは?【 作家名 】 筑摩県飯田郡(現在の長野県)に生まれる。本名は三男治。上京し、結城正明に学んだ後、東京美術学校に進み、橋本雅邦、川端玉章に師事する。卒業後、日本絵画協会絵画共進会で受賞を重ねるとともに、母校の絵画科嘱託として予備過程の授業を担当したが、明治31年(1898)天心に殉じて美術学校を辞職。日本美術院の創立に参加し正員となった。明治33年(1900)、絵画協会と美術院の連合絵画共進会に出品した作品が、「朦朧体」との酷評を受ける。大観とともにインドや欧米へ旅行し、帰国後は天心に従って茨城県五浦で研究を続けた。明治40年(1907)文展開催にともなって、新派の国画玉成会が結成されると評議員となり、文展で受賞を重ね審査員もつとめたが、眼病をわずらい失明の後38歳で亡くなった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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