![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
はーとりー マースデン・ハートリー
1877年アメリカに生まれる。1892年、クリーヴランド美術学校(オハイオ州)で、1898−99年、ニューヨークのW.M.チェイス・スクールで、1900年、ナショナル・スクール・オブ・デザインで学ぶ。1909年、アルフレッド・スティーグリッツの画廊「291」で最初の個展。1912年、デア・シュトゥルム主催の第1回「ドイツ秋のサロン」に参加。1913年、ニューヨークの「アーモリー・ショー」に出品。画家で詩人のハートリーは今世紀アメリカの最も重要な芸術家の一人である。メイン州やニュー・イングランドの風景画で有名たが、アメリカ国内やヨーロッパ各地にも旅行して制作した。ガートルード・スタインや、フランス、ドイツの知識人や前衛芸術家たちと交わったモダニストで、表現主義の画家としてもアメリカでは重要な存在だった。(「アメリカン・リアリズム」図録 1992年)
カテゴリー:作家
ロバート・ラウシェンバーグとは?【 作家名 】 1925年アメリカに生まれる。2008年没する。1942年テキサス大学に入学するが半年で退学。海軍にいた1943年から45年の間に美術に目覚める。1947年にパリのアカデミー・ジュリアンで学び、48年にはカリフォルニアで、ジョセフ・アルバースに師事する。白いペンキを画面一杯に塗っただけのホワイトペインティングを制作、続いてブラックでも試みる。1951年に、作曲家ジョン・ケージ、舞踊家マース・カニンガムに出会い、ハプニングを行う。1954年にはジャスパー・ジョーンズと出会う。1955年から59年には山羊の剥製を中心にタイヤや板切れで構成したコンバイン・オブジェ〈モノグラム〉を制作。1960年代には写真を転写した版画を制作する。1983年よりROCI(ラウシェンバーグ海外文化交流)と題するプロジェクトが各地を巡回する。抽象表現主義の自我に攻撃を仕掛け、(彼はデ・クーニングの素描を消しゴムで消したことがある)日用品のコンバインを通してポップ・アートへの道を開き、ネオ・ダダの重要人物として高い評価を受けている。 |
||