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ふなこし かつら 舟越桂
1951年岩手県に生まれる。父は彫刻家舟越保武。1975年東京芸術大学彫刻科を卒業し、77年同大学大学院彫刻科を修了する。1976年新具象彫刻展の設立に参加し85年同展が解散するまで出品を続ける。1977年函館トラピスト修道院、79年逗子カトリック教会のために木彫の聖母子像を制作する。1982年初めての個展を開催し、84年「彫刻のある街へ」展(小山市)で優秀賞を受賞する。彩色を施し、仏像彫刻のように眼球を嵌入し、時にはガラスの入った本物の眼鏡をかけた舟越の作品は、従来の木像彫刻にないエキゾチックで抒情的な魅力を持っている。これまでの具象彫刻に欠けていた分野を拓く可能性を持った作家として注目を集めている。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
ピサロとは?【 作家名 】 デンマーク領、西インド諸島セント・トマス島に生まれる。1855年画家を志してパリに行き、コロー、クールベに感銘して風景画を描く。1859年にはモネに会う。サロンに数回出品するが落選し、1863年の落選展に出品する。普仏戦争中の1870年、一時ロンドンへ亡命し、モネとともにイギリスの風景画を研究する。印象派展に1874年の第1回から86年の第8回まで毎回出品を続け、印象派の代表的作家の一人となる。また、セザンヌ、ゴーギャンやスーラ、シニャックを印象派に導いた人格者でもある。穏やかな田園風景や街並みを多く描く。一時スーラの新印象主義にひかれ、点描の技法も用いる。パステル、グワッシュにも佳作が多い。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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