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うぉなー ポール・ウォナー
1920年アメリカに生まれる。1941年、オークランドのカリフォルニア美術工芸大学卒業。1952年、カリフォルニア大学バークレー校卒業。55年同大学院で修士号。1965−1966年、オーチス・アート・インスティテュートで教え、以後カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校、同デイヴィス校、カリフォルニア州立大学ロング・ビーチ校ほかで教職歴がある。サンフランシスコ在住。ベイ・エリアの画家ウォナーは1960年代の初めに、その官能的、肉感的な筆致と、絵画やグワッシュの作品のロマンティックな性格で知られていた。ここ10数年は、丹精込めた大画面の静物画に専心している。個々のモチーフは対象をじかに見て描くが、全体の構成と内部空間は想像に基づいている。(「アメリカン・リアリズム」図録 1992年)
カテゴリー:作家
川端玉章とは?【 作家名 】 京都に蒔絵師の子として生まれる。幼名龍之助。晩年は璋翁と号した。はじめ、父から蒔絵の手ほどきを受けるが、中島来章に師事し円山派を学んだ。慶応2年(1866)江戸に出て、覗眼鏡の興行などを経た後、高橋由一、五姓田義松とともにワーグマンから洋画を学ぶ。そして、油絵具で屏風を描いたこともあったという。明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会以降、受賞を重ね、第一回、第二回内国絵画共進会では、受賞作がフェノロサから評価を受ける。明治21年(1888)から、円山派を代表する画家として、東京美術学校で後進の指導にあたった。シカゴ万国博覧会に出品。日本青年絵画協会の結成に尽力した他、川端画学校校長、帝室技芸員、文展での審査員などを歴任した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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