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でぃ-べんこ-ん リチャード・ディーベンコーン
オレゴン州ポートランド生まれ。1993年没する。1940−1942年、スタンフォード大学、1943年、カリフォルニア大学バークレー校、1946年、カリフォルニア美術学校で学ぶ。カリフォルニア州ヒールズバーグ在住。ディーベンコーンはアメリカでは大きな尊敬を集めている画家である。同時代のデイヴィッド・パーク、エルマー・ビショッフ、ジェイムズ・ウィークスはベイ・エリアの具象絵画の重要画家である。今日ではディーベンコーンは〈オーシャン・パーク〉の抽象画でよく知られている。彼の具象絵画やドローイング、抽象画は今世紀の絵画の中でもひときわ表現力豊かで美しい作品に数えられる。(「アメリカン・リアリズム」図録 1992年)
カテゴリー:作家
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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