![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
いしかわ しんごろう 石川真五郎
1893年徳島県に生まれる。1972年没する。1910年徳島中学校(現在の城南高等学校)を中退して上京し、黒田清輝、岡田三郎助に洋画を学んだ。1924年から、二科展に出品を始める。1937年の一水会展第1回展から出品を始め、43年に一水会会員となった。また1940年には、一水会の出品者十数名と日本油絵会を創立したが、第2次世界大戦のため中断した。戦後は、1948年疎開先の岩手県から徳島県板野郡板野町に帰郷し、以後徳島の風景を描き続けた。自然を愛し、素朴な自然の光景を印象派風の淡いタッチでとらえる、のどかな作風で、武蔵野の木立や、郷土では鳴門をテーマとした作品が多い。晩年は老人性白内障で左眼を失明し、制作不能となり不遇であった。1972年香川県で自らの命を断った。(「開館10周年記念展 近代徳島の美術家列伝」図録 2000年)
カテゴリー:作家
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||