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ふぃっしゅる エリック・フィッシュル
1948年アメリカに生まれる。1972年、カリフォルニア・インスティテュート・オブ・アーツ卒業。過去10年間に、フィッシュルは若者の性衝動をテーマとしたり、効外居住者の些細な出来事をストーリー仕立で扱う画家として国際的に注目を集めた。彼の《バッド・ボーイ》、《夢遊病者》は現代美術界に新鮮な戦慄を引起こしたが、画家として円熟するにつれ、その仕事はますます繊細で謎めいた性格を深めてきている。(「アメリカン・リアリズム」図録 1992年)
カテゴリー:作家
川合玉堂とは?【 作家名 】 1873年愛知県に生まれる。1957年没する。本名芳三郎。京都に出て、望月玉泉に師事。玉舟の号を与えられた。明治23年(1890)第三回内国勧業博覧会に出品する際、玉堂と改号。同年、玉泉の許可を得て幸野楳嶺の画塾に移った。竹内栖鳳、菊池芳文は同門。楳嶺の没後、明治29年(1896)に上京し、橋本雅邦に入門。日本美術院の創立に際して、師の雅邦とともに参加。受賞を重ねた。文展が開設されると審査員をつとめ、以後同展を中心に活躍した。東京美術学校教授、帝室技芸員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、日本芸術院会員を歴任。昭和15年(1940)には文化勲章を受賞した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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