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ばとらー デヴィッド・バトラー
1898年アメリカ合衆国ルイジアナ州パターソン近郊のグッド・ホープに8人兄弟の長男として生まれる。年齢を偽り、製材所で働く。1960年頃労働災害により傷害を負い、退職。パターソンに家を購入し、彫刻を制作し始める。1968年妻エレノア死亡。1973年頃ニューオリンズ美術館館長ウィリアム・ファガリーの知遇を得る。1981年J.P.ソムナー賞受賞。1984年から現在にかけて同州モーガン市の療養所に住む。(「アフリカン・アメリカン美術展」図録 1993年)
カテゴリー:作家
分離派とは?【 美術用語 】 ラテン語の動詞SECEDO(分離する)を語源としたヅェツェッシォーン。「分離派」と訳されている。19世紀末以降、ドイツ・オーストリアの各地では、既存の保守的・閉鎖的な芸術家協会等の機構のなかでは自由に発表活動ができない、発表の場が与えられていないと考えた、進歩的な芸術家たちが、官営事業化している展覧会とは別に、彼ら自身の協会や展覧会組織を持とうとし、相次いで新しく芸術家集団を結成した。「ヅェツェッシォーン(分離派)」とは、こうして結成されたグループにつけられた名称である。最初の創設は、1892年にシュトゥック、トリュブナーらを指導者としたミュンヘン分離派である。1897年には、クリムトを会長とするウィーン分離派が、1898年に、リーバーマンの指導のもとにベルリン分離派が成立した。ベルリン分離派は、「ブリュッケ」のメンバーを含む表現主義作家の出品拒否が原因で、1910年に再び分裂、新分離派が結成され、その最盛期をむかえた。分離派には特定の様式・理念はないが、建築・デザイン史からは、近代運動のひとつとみなされることもある。 |
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