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おーう゛ぁーすとりーと ジョー・オーヴァーストリート
1933年アメリカ合衆国ミシシッピー州コネハッタに生まれる。1941年から46年、ジョージア州、ニューヨーク州、ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州などに毎年転居を繰り返す。1951年から52年にかけてコントラ・コスタ・カレッジで学び、52年にはサンフランシスコにスタディオをつくる。1953年、カリフォルニア美術学校へ通う。ウォルト・ディズニー・スタディオで、アニメーション・アーティストとして働く。1953年から58年には商船隊で働く。1954年メニール財団奨学金を受ける。1958年詩人ボブ・カウフマンと共に、ニューヨーク州ニューヨークへ移る。1970年から73年にはカリフォニア州立大学ヘイワード校で教鞭をとった。1973年コーニー・ジェニングとスティーヴ・キャノンと共にウォーターゲートを扱った劇“Snakeshiiit”を書く。1974年コーニー・ジェニングとサムエル・C・フロイドと共にニューヨーク州ニューヨークに“Kenkeleba Hause”を設立する。(「アフリカン・アメリカン美術展」図録 1993年)
カテゴリー:作家
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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