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すたーん マイク アンド ダグ・スターン
1961年アメリカに双子の兄弟として生まれる。1984年ボストン美術館附属美術学校修士課程修了。フィフス・イヤー・トラベリング・スカラーシップを受ける。同年ボストンのスタックス画廊で初の個展を開催。1987年ホイットニー・ビエンナーレ展(ホイットニー美術館)に出品。1989年「創造としての写真:1980年代アメリカの写真」展(ナショナル・ミュージアム・オブ・アメリカン・アート)に出品、同年日本で初の個展をアキラ・イケダギャラリー(東京)で開催。1990年「脱走する写真−11の新しい証言」展(水戸芸術館)、「移行するイメージ−1980年代の映像表現」展(京都国立近代美術館、東京国立近代美術館に出品。1991年「メトロポリス」展(マーティン・グロピウス・バウ、ベルリン)に出品。1993年直島コンテンポラリーアートミュージアム(香川)で個展を開催。
カテゴリー:作家
クリムトとは?【 作家名 】 1862年ウィーンに生まれる。1876年に奨学金を得てオーストリア芸術産業美術館付属の工芸学校に入学、7年間同校に学ぶ。1883年、弟エルンスト、同窓のF.マッチュと共に美術家協会を設立し、ブルク劇場やウィーン美術史美術館など多くの装飾画を手掛ける。この時期の作品はいまだアカデミックな画風で描かれており、ブルク劇場のフレスコ画の制作によって勲章を授けられたが、1897年にウィーン分離派を結成し、その初代会長となると、アール・ヌーヴォー様式を大幅に取り入れた独自の様式を成熟させていった。1903年にはウィーン工房の設立に協力し、翌年、ブリュッセルのストックレー邸の食堂のためにモザイクのフリーズを制作し始める。この間、ウィーン大学の壁画やマックス・クリンガー展のための《ベートーヴェン・フリーズ》が賛否の渦を巻き起こす。1905年分離派を脱退し、翌年オーストリア美術家連盟を結成、1908年の「クンストシャウ」に出品した《接吻》が国家買上げとなる。第9回ベネチア・ビエンナーレ(1910年)で「クリムトの部屋」が設けられたり、1911年のローマ国際美術展で最優秀賞を獲得したりするなど、ヨーロッパ美術界で重きをなしていった。1917年、ウィーンとミュンヒェンの造形芸術アカデミーがクリムトを名誉会員に迎る。1918年ウィーンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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