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すたーん マイク アンド ダグ・スターン
1961年アメリカに双子の兄弟として生まれる。1984年ボストン美術館附属美術学校修士課程修了。フィフス・イヤー・トラベリング・スカラーシップを受ける。同年ボストンのスタックス画廊で初の個展を開催。1987年ホイットニー・ビエンナーレ展(ホイットニー美術館)に出品。1989年「創造としての写真:1980年代アメリカの写真」展(ナショナル・ミュージアム・オブ・アメリカン・アート)に出品、同年日本で初の個展をアキラ・イケダギャラリー(東京)で開催。1990年「脱走する写真−11の新しい証言」展(水戸芸術館)、「移行するイメージ−1980年代の映像表現」展(京都国立近代美術館、東京国立近代美術館に出品。1991年「メトロポリス」展(マーティン・グロピウス・バウ、ベルリン)に出品。1993年直島コンテンポラリーアートミュージアム(香川)で個展を開催。
カテゴリー:作家
円山応挙とは?【 作家名 】 丹波国穴太村(現京都府亀岡市)に生まれる。通称は、岩次郎、左源太、主水。仲均、夏雲、仙嶺とも号したが、明和3年(1766)応挙と改め、晩年まで落款などに用いた。15歳頃、京都に出て鶴沢派の石田幽汀に師事。生活のため、眼鏡絵の制作を行い、奥行きのある表現を獲得。その後、自然を写生の態度で捉えた〈雪松図〉などの表現、日本や中国の伝統と写生との融和をはかった装飾的表現を生み出す。円満院、三井家、宮中などの庇護を受け、多くの門人とともに障壁画を制作。最晩年の〈保津川図屏風〉が画業を集大成した作品とされている。彼の表現は、円山四条派という画派を形成して広がり、明治に至るまで影響をおよぼした。近代の京都画壇にとどまらず近代「日本画」をつくりだす重要な要素となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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