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ぼろふすきー ジョナサン・ボロフスキー
1942年アメリカに生まれる。1960−64年ピッツバーグのカーネギー・メロン大学、64−66年ニューヘブンのエール美術建築学校で学ぶ。1969年「1から無限へのカウンティング」を開始する。1972年頃より、自分のみた夢を絵にするようになる。1975年ポーラ・クーパー画廊で個展、76年第37回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品、78年個展(カリフォルニア大学付属美術館)で、最初の「ランニングマン」を展示。1979年個展(ポーランド視覚芸術センター)で最初の「フライングマン」を展示。1980年第39回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品、「ハングリングマン」中心に展示。1981年「壁」展(ポンピドゥ・センター)ほか世界各地の国際展に出品。1982年「ジョナサン・ボロフスキー:労働者たち」展開催(ボイマンス美術館)、「ドクメンタ7」(カッセル)、「ツァイトガイスト(時代精神)」(マルティン・グロピウス・バウ ベルリン)に出品。ベルリンの壁に「ランニングマン」を描く。1983年「ジョナサン・ボロフスキー:素描1960−83」展開催(バーゼル美術館)、個展(ポーラ・クーパー画廊)で「チャタリングマン」などを展示。1984年日本で初個展(ギャルリーワタリ)、84−86年アメリカ国内美術館巡回の大規模な「ジョナサン・ボロフスキー展」を開催(フィラデルフィア美術館他)、87年日本で「ボロフスキー展」開催(東京都美術館、滋賀県立近代美術館)。
カテゴリー:作家
三宅克己とは?【 作家名 】 1874年徳島県に生まれ、1954年に没した。旧徳島藩江戸留守居役だった父が、蜂須賀家の養育係となったため、6歳のとき家族で東京に移住。近所には、洋画家・高橋由一の画塾があり、絵に関心をもつようになったと言われている。大野(曽山)幸彦、原田直次郎に洋画を学ぶが、来日中のイギリス人画家ジョン・ヴァーリー(バーレイ)の水彩画に感動し、水彩画家を目指すようになった。1897年、アメリカに渡り、一時イェール大学付属美術学校でも学んでいる。翌年ロンドンに移り、フランスやベルギーを経て帰国。その後、日本各地はもちろん、ヨーロッパ、アメリカ、中国へたびたび出かけ、風景画を描き続けた。1899年白馬会会員。同会の解散後は、光風会の創立に参加。1907年に文展(文部省美術展覧会)が開設されると、第一回展から出品し、以後、文展や帝展(帝国美術院美術展覧会)、新文展、戦後の日展で活躍。1915年の文展で2等賞(最高賞)を受賞。翌年から無鑑査となり、帝展、新文展では審査員もつとめた。水彩画を独立した洋画の一分野ととらえ、透明水彩の繊細な表現を追求するとともに、水彩画に関する著書を多数刊行するなど、水彩画の普及に尽力した。昭和初期には、写真に関する啓蒙書も執筆。晩年の1951年、日本芸術院恩賜賞を受賞している。 |
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