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かさっと メアリ・カサット
ピッツバーグ郊外の裕福な実業家の家庭に生まれたカサットは、少女時代のの多くをヨーロッパで過ごし、1874年からはパリに永住している。ドガの紹介でインディペンデント・アーティストのグループに入り、アメリカ人としては初めて印象主義の画家たちの仲間入りをした。作品はドライポイント、エッチングが中心だが、1890年にエコール・デ・ボザールで見た浮世絵の展覧会に触発されて、アクアティントを併用した、大判の多色刷ドライポイントを始めた。30年以上の制作期間に彼女が制作した版画は200点以上にのぼるが、そのうちの多くに浮世絵、特に歌麿の美人画からの影響が見られる。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
パスキンとは?【 作家名 】 1885年ブルガリアに生まれる。1930年没する。本名はユリウス・ピンカス。父はユダヤ系スペイン人、母はイタリア人。ウィーンで絵を学んだ後、1904年、ミュンヘンの諷刺雑誌『ジンプリツィスムス』の専属契約画家となり、この時から本名のピンカスではなくパスキンと名乗る。1905年パリに行き、エコール・ド・パリの仲間入りをする。1914年から20年まではアメリカで暮らし、この時にアメリカ国籍を得る。その後ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、キューバ、アルジェリア、イタリア、スペイン等、各地を放浪した。1930年、パリのジョルジュ・プティ画廊での個展前夜に自殺。淡彩と無駄のない線によって描かれた彼独特の女性像は、ゆらめくような透明感を持っており、エロチックな憂愁を帯びている。退廃的なその作品には、新しい発見や革新性は見当らないが、彼の鋭く神経質なまでの危うい感受性が表現されている。 |
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