ぐるぐるアートワード
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アペル



阿房宮図



アマタシャ



雨田光平



網打つ人 - II



編革ひもシートのインスブルック・ローデルそり



編物をする羊飼いの女(羊飼いの女、大)



アムステルダム国立博物館1







雨のために



アメリカセイ



アメリカの風景



荒井寛方



洗い髪



荒川修作



荒木寛畝



荒木十畝



荒木高子



荒木珠奈






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 作家(1701)

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だう

アーサー・ウェズリー・ダウ

マサチューセッツ州イプスウィッチ出身のダウは、5年間のフランス滞在の後ボストンに戻り、ボストン美術館で日本美術の学芸員をしていたアーネスト・フェノロサから日本美術について教わる。長年にわたるフェノロサとの交友関係は、ダウに西洋美術のリアリズムからの離脱を促し、日本美術に内在する抽象性を探求して、新しい西洋美術に応用する可能性を示唆した。1890年代初頭から、ダウは破墨の筆遣いを研究したり、浮世絵を水彩で模写したりして、集中的に日本美術の基礎を学び取ろうと努めた。浮世絵や肉筆画、着物の柄のデザインの見本帖等の収集も同時に始め、ついには数千点を越える膨大なコレクションを築いた。ダウ自身の木版画は、日本の手本と異なり、下絵、版木彫り、全工程を一人で手がけたために、サイズとしては非常に小さなものがほとんどである。だが、それはダウが傾倒していたイギリス経由のアーツ・アンド・クラフツ運動の精神にも適っていた。1899年に彼が出版した『構図』は、日本美術のエッセンスを応用したデザインのマニュアルで、アメリカの美術教師や学生に大変人気のある教科書となった。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)


カテゴリー:作家
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ミュシャとは?【 作家名 】

画家、イラストレーター、室内装飾家。チェコのイヴァンチツェ生まれ。1879年、ウィーンの舞台装飾会社で働き、夜間学校に通う。83年芸術庇護者のクーエン=ベラッシ伯爵に会い、城の食堂と書斎の室内装飾の仕事を依頼される。伯爵は以後、ミュシャのパトロンになる。ミュンヘンの美術学校を出た後、87年にパリに出て短期間アカデミー・ジュリアンに通う。それ以来、彼は絵画に主に専念することになる。90年より様々な雑誌、新聞に評論を寄せるようになる。92年より本のイラストを始める。並行してフランス芸術家協会(1894年)や第20回100人展に出品する。1896年、1897年には個展を開催する。1892年より広告の世界に入る。広告の世界で注目されるようになるのは94年からである。その後10年間、ミュシャの広告における業績は絶頂をきわめた。1903年、初めてアメリカへ旅し、パリとプラハ、ボヘミアを定期的に行き来するようになる。少しづつチェコ人としてのアイデンティティーを意識するようになり、1910年からスラブの芸術の人生を捧げる決意をした。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)

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  アール・ヌーヴォー

  「サロン・デ・サン」ポスター原画

  「肖像画・デッサン・宝石展」サル・デ・ザール

  「第20回サロン・デ・サン」のポスター

  アルフォンス・マリー・ミュシャ


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徳島県立近代美術館2006