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ほーまー ウインスロー・ホーマー
ボストン生まれのホーマーは、地元の石版画作家に師事した後、『ハーパーズ・ウィークリー』等の週刊誌の木版挿絵のデザインで活躍した。南北戦争の折には前線に出向き、兵士の生活等をリアリスティックに描いて、週刊誌に掲載した。日本美術に関しては、友人のジョン・ラ・ファージの持っていた浮世絵を見る機会があったと言われるが、彼の作風に変化が現れるのは、1867年のパリ万国博覧会で多くの日本美術を目にした後である。版画から美術の世界に入った彼は、浮世絵の極端な遠近表現法(前景の対象を大きく描いて奥行きを強調する等)や、中心的対象に焦点を置いて、余分な対象を省く大胆な構図法に特にヒントを得たと思われる。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
ダリとは?【 作家名 】 1904年スペインに生まれる。1989年没する。1921年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入るが、突飛な行動を繰り返し、26年には退学処分となる。はじめは未来派やキュビスムに興味を持ったが、そのうちに、デ・キリコやとりわけフロイトの『夢判断』に強烈な影響を受ける。そして自ら「偏執狂的批判的方法」を発見し、精密な写実と幻想とを結びつける独自の様式を生み出した。1927年にはパリに行きピカソと知り合った。1929年から30年には友人ブニュエルと〈アンダルシアの犬〉等の映画を作る。1929年パリの個展によってシュルレアリスムの一員に加えられるが、34年、ブルトンとの不仲から除名される。第二次世界大戦中の1940年にアメリカに亡命し、名声を得る。1948年にはスペインに戻り、版画や宝石デザインなどの分野でも活躍、商業的な成功も得た。スキャンダラスなその生涯は、彼の評価を分けてはいるが、ある意味で今後のシュルレアリスムの存続を考える上での鍵を握る人物の1人であるといえよう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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