日本美術愛好家の最初の世代の一人で、日本の衣装や装飾品を取り入れた作品がその熱狂ぶりを伝えている。1850年代半ば、アメリカから
ロンドンにやって来てすぐ、日本の美術を発見したと考えられる。1850年代後半から1860年代の初めにかけて何度もパリに渡ったことで日本の作品に近づく機会が増え、また、関心も確実に高まっていった。パリでは、日本美術愛好家の
フェリックス・ブラックモンや
マネなど腐蝕
銅版画家協会の版画家たちと親しく付き合った。また、この時期に制作した
エッチングの多くが、
ブラックモンに初めて日本の絵本を見せたと言われるオーギュスト・
ドラートルによって刷られている。
ロンドンの友人には、イギリスの
ラファエル前派のダンテ・ガブリエル・ロセッティとその弟
ウィリアムがおり、彼らもまた1860年代の初めに日本美術を収集していた。
ホイッスラーの浮世絵版画の影響は徐々に強まり、1870年代に入ると
エッチングの
カリグラフィックな描線や構図は広重風の浮世絵風景画を思わせるものとなっている。19世紀半ばの名だたる版画家たちと親交のあった
ホイッスラーは、日本美術の芸術的研究を促進する上で重要な役割を果たした。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「
ジャポニスム展」図録)