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もとなが さだまさ 元永定正
1922年三重県に生まれる。上野商業学校を卒業し、様々な職業を転々としながら絵を学ぶ。1952年兵庫県に移り、吉原治良に師事する。1955年具体美術協会に参加、以降71年に退会するまで出品を続ける。1959年プレミオ・リソーネ展買上賞、64年、66年現代日本美術展優秀賞、71年日本現代美術展京都国立近代美術館賞、83年日本芸術大賞を受賞。具体美術協会に参加した当初はビニール袋に色とりどりの水を入れた作品や石を着色したオブジェのような作品を発表したが、58年からキャンバスに絵具を直接流して描きはじめ、鮮烈な原色の対比とダイナミックな躍動感に満ちた作品で具体グループを代表する作家となる。70年代になるとなめらかな画面に明確な輪郭線を持った抽象的なイメージを描き、70年代半ばからは線を主体とした作品を手掛け、新たな展開を試みている。1980年国立国際美術館で「現代の作家2高松次郎・元永定正」展が、91年には三重県立美術館で「元永定正」展が開かれる。
カテゴリー:作家
藤田嗣治とは?【 作家名 】 1886年東京都に生まれる。1968年没する。(スイス、チューリヒ)。1910年東京美術学校西洋画科を卒業する。1913年フランスに渡り、ピカソやモディリアーニらと交友する。乳白色のなめらかな絵膚に線描する独自の画風を創り出し、1919年サロン・ドトンヌの会員、2年後に審査員に推挙されるなど、一躍エコール・ド・パリの寵児となる。1929年一時帰国したあと、1930年から33年にかけてパリを足場に中南米各地で制作、39年から40年にかけて再度フランスに渡る。その間1934年二科会会員、41年帝国芸術院会員となり、43年朝日文化賞を受賞する。戦後は1949年アメリカを経てフランスに渡り、55年フランスに帰化、57年レジオン・ドヌール勲章を受賞、59年ベルギー王立アカデミー会員となる。1959年カトリックの洗礼をうけてレオナルド・フジタと改名、晩年はフランスのノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂の設計、壁画制作に没頭する。(「ピカソと日本」図録 1990年) |
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