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 作家(1701)

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いずみ しげる

泉茂

1922年大阪府に生まれる。1995年没する。1938年から2年間、中之島洋画研究所に通う。1939年大阪市立工芸学校(現大阪市立工芸高校)を卒業、大丸百貨店宣伝部に勤める。1947年退社し、翌年第1回汎美術家協会展で受賞。1951年、瑛九や早川良雄らとデモクラート美術家協会を結成。1953年からエッチング、55年からリトグラフを始めた。1957年第1回東京国際版画ビエンナーレ展で新人賞を受賞。1959年からはニューヨークに住み、アメリカ画壇で活躍する一方、国内外の展覧会に多数出品する。1963年からはパリに移住、同様に活発な活動を続ける。作風は、幻想的な情景の描写から、次第に抽象的な幾何学形態を前面に押し出した、無機質なものへと変化していった。油彩の他、エッチングリトグラフシルクスクリーンなどの技法を用いて、単純な形態から構成される様々なイメージを追求した。1968年に帰国した後は、一転してエアブラシの吹き付け画法による作品を発表。晩年は、雲形定規をベースにしたカラフルな色彩と繊細な叙情の通う作品に表現を変化させながら精力的な活動を続けた。大阪芸術大学教授として後進の指導にもあたった。同大学の名誉教授だった。


カテゴリー:作家
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デ・スティルとは?【 美術用語 】

1917年、テオ・ファン・ドゥースブルフが、モンドリアンの協力を得て、レイデンで創刊し、1928年まで編集にあたったオランダの美術雑誌名。デ・スティルは「様式」の意味。最終号は1932年、ドゥースブルフ夫人が亡夫を記念して発行した「ドゥースブルフ追悼号」(通巻90号)。この雑誌は初めはモンドリアン新造形主義の原理をもっぱら扱っていたが、ドゥースブルフが執筆陣にダダイストやクプカを迎え内容が包括的になったことからモンドリアンは寄稿をやめ、1926年以降は造形されたものの効果や具体性を重視するエレメンタリズムが中心となった。このような経緯があるにせよ、両大戦の間で最も大きな影響を与えた雑誌である。また、デ・スティルの名称は、この雑誌に関係した芸術家、建築家のグループをも指し、彼らが始めた建築様式上の運動にも用いる。それは、キュビスムの影響を受け直角と滑らかな平面の組合せよりなる抽象形態と、色彩は原色と白、黒、灰のみを使用した純粋な抽象的造形を意図したものであった。

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