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悪の泉−『エスタンプ・オリジナル』誌第6号より



『悪の華』のために版刻された14図



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いずみ しげる

泉茂

1922年大阪府に生まれる。1995年没する。1938年から2年間、中之島洋画研究所に通う。1939年大阪市立工芸学校(現大阪市立工芸高校)を卒業、大丸百貨店宣伝部に勤める。1947年退社し、翌年第1回汎美術家協会展で受賞。1951年、瑛九や早川良雄らとデモクラート美術家協会を結成。1953年からエッチング、55年からリトグラフを始めた。1957年第1回東京国際版画ビエンナーレ展で新人賞を受賞。1959年からはニューヨークに住み、アメリカ画壇で活躍する一方、国内外の展覧会に多数出品する。1963年からはパリに移住、同様に活発な活動を続ける。作風は、幻想的な情景の描写から、次第に抽象的な幾何学形態を前面に押し出した、無機質なものへと変化していった。油彩の他、エッチングリトグラフシルクスクリーンなどの技法を用いて、単純な形態から構成される様々なイメージを追求した。1968年に帰国した後は、一転してエアブラシの吹き付け画法による作品を発表。晩年は、雲形定規をベースにしたカラフルな色彩と繊細な叙情の通う作品に表現を変化させながら精力的な活動を続けた。大阪芸術大学教授として後進の指導にもあたった。同大学の名誉教授だった。


カテゴリー:作家
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池田蕉園とは?【 作家名 】

1886年東京都に生まれる。旧姓榊原、名は由理、通称百合子。父は泉州岸和田藩士、母は国沢新九郎、本多錦吉郎に油彩画を学んだと言う。麹町女子学院卒業後すぐ、16歳で水野年方に入門。1907年(明治40)東京府勧業博覧会で2等賞を受賞。同年の第1回文展で3等賞を受賞したのを最初に、第2回展、第3回展、第4回展と連続4回3等賞を受賞した。その後も第5回展、第6回展、第8回展で褒状を、第9回展で3等賞、第10回展で特選を受賞した。彼女のこうした活躍は上村松園と比され、西の松園、東の蕉園と並び称された。1911年には、婚約以来8年もの紆余曲折をへて同門の池田輝方と結婚、16年(大正5)第10回文展では夫婦そろって特選をとるなど、おしどり作家といわれた。結婚後の蕉園は、夫輝方をもりたてるために第一線から身をひくようなところがあり、そのために夢を追うような初々しさのただよう美人画から次第に作風が変化、江戸っ子の典型のような輪郭のはっきりした女性像になっていく。1917年肋膜炎のため31歳の若さで没する。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)

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