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やまもと ようこ 山本容子
1952年埼玉県に生まれる。1978年京都市立芸術大学美術専攻科を修了する。在学中から個展を開催するほか各種の展覧会に作品を発表し、1977年京都府洋画版画選抜展買上賞、京都府洋画版画総合展新人賞、大阪府民ギャラリー版画コンクールコンクール賞を受賞する。卒業後は1978年日本現代版画大賞展西武賞、80年京都市芸術新人賞、83年韓国国際版画ビエンナーレ優秀賞などを受賞、新しい世代の版画作家として幅広い注目を集める。ソウル国立現代美術館、栃木県立美術館など、内外の美術館に作品が収蔵される。身近な光景に取材し、イメージを画面の上で幾り返した作品は、ユーモラスなリズム感をつくり出している。また近年は木を使ったオブジェも発表する。京都精華短期大学美術科、京都市立芸術大学美術学部で後進の指導にあたる。
カテゴリー:作家
分離派とは?【 美術用語 】 ラテン語の動詞SECEDO(分離する)を語源としたヅェツェッシォーン。「分離派」と訳されている。19世紀末以降、ドイツ・オーストリアの各地では、既存の保守的・閉鎖的な芸術家協会等の機構のなかでは自由に発表活動ができない、発表の場が与えられていないと考えた、進歩的な芸術家たちが、官営事業化している展覧会とは別に、彼ら自身の協会や展覧会組織を持とうとし、相次いで新しく芸術家集団を結成した。「ヅェツェッシォーン(分離派)」とは、こうして結成されたグループにつけられた名称である。最初の創設は、1892年にシュトゥック、トリュブナーらを指導者としたミュンヘン分離派である。1897年には、クリムトを会長とするウィーン分離派が、1898年に、リーバーマンの指導のもとにベルリン分離派が成立した。ベルリン分離派は、「ブリュッケ」のメンバーを含む表現主義作家の出品拒否が原因で、1910年に再び分裂、新分離派が結成され、その最盛期をむかえた。分離派には特定の様式・理念はないが、建築・デザイン史からは、近代運動のひとつとみなされることもある。 |
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