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よこお ただのり 横尾忠則
1936年兵庫県に生まれる。1958年神戸新聞社にデザイナーとして勤めるかたわら日本宣伝美術会展に出品し奨励賞を受賞。1960年東京に活動の場を移し、東京ADC展、ペルソナ展で注目を集める。日本の土着的情念を生かしたポップ調の作風が評価され、1972年にはニューヨーク近代美術館で現存のグラフィック・デザイナーとして初めての個展が開かれたのをはじめ、同年第4回ワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレ展ユネスコ賞、第5回ブルーノ国際グラフィックアート・ビエンナーレ展で特別賞を受賞するなど国際的に活躍。版画の分野でも、1969年第6回パリ青年ビエンナーレ展の版画部門で大賞を受賞するなど独自の業績を築いている。1981年グラフィック・デザイナーから画家に転向し、激しい筆致と色彩の表現主義的な作風を展開。1985年第13回パリ・ビエンナーレ展への招待出品や世界各地で個展を開催する他、ベルギー国立20世紀バレエ団の舞台美術を担当するなど精力的な活動を行なっている。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
帝展とは?【 美術用語 】 文部大臣の管理下に設けられた帝国美術院によって、1919年から35年まで開催された美術展覧会。1907年から文部省美術展覧会(文展)が開かれたが、次第に二科会、日本美術院、国画創作協会など在野の有力団体の活動が活発化したのに対して、文展にはアカデミズムの弊害が目立つようになった。その対応策として文展創設以来審査にあたってきた老練作家を帝国美術院会員とし、比較的若い世代を審査員に起用することで今までの文展に活気を吹き込もうとした。この改革は一定の成果をあげたが、1935年在野有力作家の吸収を目的として文相松田源治によって帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。 |
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