![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ゆとりろ モーリス・ユトリロ
1883年、フランス、パリに生まれる。母はモデルで画家のシュザンヌ・ヴァラドン。父は不明。10歳ごろより飲酒を覚え、17歳で最初のアルコール中毒による入院。医師の助言と母の説得で、治療のため絵を描くようになる。ほとんど独学で絵を学び、印象派的な時期を経過して、1908年ごろ、白を基調とする「白の時代」に到達する。1909年サロン・ドトンヌに出品。1913年最初の個展を開催、評判となる。1915年ごろから鮮やかな色彩が現れ始める。1919年ルプートル画廊の個展が大成功を収める。一方、アルコール中毒は治らず、何度となく入退院をくりかえす。1928年レジオン・ドヌール勲章を受章する。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年)
カテゴリー:作家
円山応挙とは?【 作家名 】 丹波国穴太村(現京都府亀岡市)に生まれる。通称は、岩次郎、左源太、主水。仲均、夏雲、仙嶺とも号したが、明和3年(1766)応挙と改め、晩年まで落款などに用いた。15歳頃、京都に出て鶴沢派の石田幽汀に師事。生活のため、眼鏡絵の制作を行い、奥行きのある表現を獲得。その後、自然を写生の態度で捉えた〈雪松図〉などの表現、日本や中国の伝統と写生との融和をはかった装飾的表現を生み出す。円満院、三井家、宮中などの庇護を受け、多くの門人とともに障壁画を制作。最晩年の〈保津川図屏風〉が画業を集大成した作品とされている。彼の表現は、円山四条派という画派を形成して広がり、明治に至るまで影響をおよぼした。近代の京都画壇にとどまらず近代「日本画」をつくりだす重要な要素となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||