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ぶーるでる エミール=アントワーヌ・ブールデル
フランス、モントーバンに生まれる。彫刻家。1876年トゥールーズの美術学校に入学する。1884年パリに出てエコール・デ・ボザールに入学し、84年から90年までサロンに出品する。1886年には退学し、93年から1908年までロダンの助手として働く。1893年モントーバン市の依頼により、「1870年の戦士たちの記念碑」の制作に着手する。1900年「アポローンの頭部」によってロダンの影響を脱し、10年「弓をひくヘラクレス」によってロダンの後継者、または改革者としての地位を確立する。ロダンの持っていたさまざまな可能性のうち、特に男性的でモニュメンタルな面を継承し発展させたといわれる。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年)
カテゴリー:作家
レジェとは?【 作家名 】 1881年フランスに生まれる。1955年没する。1897年から98年にかけてフランスのカンで建築を学び、1900年から02年まで建築の製図工としてパリで働く。1903年から装飾美術学校とアカデミー・ジュリアンで学び、エコール・デ・ボザールにも出入りする。印象派、セザンヌとその興味の対象を変えながら、1910年からはキュビスムや未来派に刺激される。キュビスムのグループに加わり、1913年にはアメリカで行われたアーモリー・ショウに作品が展示される。第一次世界大戦中1914年から17年、従軍。そのときに見た、日光の下でまぶしく光る銃や剥き出しになった金属が放つ魔法のような輝きに強い印象を受ける。この視覚的な体験を基に、除隊後はそのような機械のイメージを作品に取り入れるようになる。また1920年代には人体にも興味をひかれ、機械と人体をモチーフにして制作。これは抽象につながる近代的な表現であったが、その源はフランスの古典主義におけるバランスのとれた構成にあると言われる。1924年には映画にも取り組み〈バレエ・メカニック〉を発表する。1940年から45年にかけてアメリカに亡命し、戦後パリに戻った。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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